1年と218日・1歳と264日
とうとう今夜はフィギュアスケートのフリープログラム。
メダルの可能性が一番高い、荒川選手と同じ美容院行ってるククケケです。 表参道でもなく、カリスマでもない。 オシャレエリアでもなく、周辺には住宅しかない。 近所の普通の美容院。
時にはマンガが積み上げられ、マンガ喫茶と化し、 時にはマジックを披露してくれる。 美容師は皆シャベリに夢中になると、髪を切る手が止まるという、そんな美容院が気に入っている。
そろそろ美容院いかなくちゃ・・・
多くの日本人と同じく、私もフィギュアスケートが大好きだ。
しかし、私のスケートデビューにはちょっと悲しい過去がある。 あまりに衝撃的だったために、ずいぶん昔の話なのに、私の記憶は鮮明だ。
私がスケートデビューしたのは、4歳になったばかりの冬。 妹が生まれたばかりだったので、父が二人でスケートをしに行こうと誘ってきた。
その頃から、私はフィギュアスケートが大好きだった。 母がフィギュア好きで、しょっちゅうテレビでみていた影響だった。
クルクル回ったり、ジャンプしたり。 私は地面の上だろうが、ソファの上だろうが、どこでもピョンピョン跳び回る、ウザイもとい元気溢れる幼児だったため、グッときていた。
そしてあのキレイな衣装。 4歳女子のデフォルト仕様は、リボンとレースが大好き!と相場が決まっている。
そんなわけで誘われた瞬間 「いくいくいくいくいくいく〜」 と、超ハイテンションでOKしたのだった。
デニムのパンツに、赤と紺のリバーシブルダウンジャケットを着せられた私は、「フリフリじゃないの?」と異議を唱えたが、無視される。 まぁ良い。 スケートできるんだから、贅沢は言うまい。
父の運転する車で、スケートリンクへ向かう途中、あんまり滑る気マンマンの私を見かねて父が尋ねた。 「クク、スケート滑れるの?」
!!! なんという愚問。 滑れないわけがない。 むしろ「滑れない」という意味がわからない。 だって、テレビでみんな普通に滑ってるじゃん。 滑れない人なんて、見たことない。
そして自信満々に答えた。 「滑れるよ!」
「フーン」 父は答えた。
さあスケートリンクに着いた。 父がスケート靴をおぼつかない手で履かせるが、履き終わるのを待つのも、もどかしい。
履き終わった瞬間、リンクに飛び出した。 父はそんな私を制止しようとしたが、間に合わない。
そして私は、みなさんの想像よりももうちょっとひどく、転んだ。 思いっきり転んだ。
転んだ意味がわからなかった。 あわてて近寄ってきた父に抱き上げられ、しばらく経った後、ようやく「滑れない」という意味がわかった。
ものすごくショックだった。 痛さより、ショックで大泣きした。
その後ショックが尾を引き、父にどうなだめすかされても、その日二度と滑ろうとはしなかった。
その頃はどこもまだ、週休1日だった。 娘に良い思い出、経験をさせるつもりで、せっかくの休みを潰したのに、トラウマをつくり、大泣きされただけで終了してしまった父が、今思えば不憫だ。
写真は今から4,5年前、ケケと行った軽井沢で、華麗なスパイラルシークエンスを決めているわたくし。
No.659
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